田盤

曖昧さ回避 田襄子」はこの項目へ転送されています。田襄子は墨家の第四代鉅子田鳩(中国語版)のことも指します。

田 盤(でん ばん、生没年不詳)は、春秋戦国時代の斉の政治家で、田氏の宗主。、あるいは[1]田襄子とも呼称される。

田恒(田成子)の子として生まれた。田恒が死去すると、田盤が代わって田氏の宗主となった。斉の宰相となり、斉の宣公に仕えた。田盤はその兄弟や一族をことごとく斉の都邑大夫とした。晋の趙無恤魏駒韓虎らが智瑶を攻め滅ぼして、智氏の領地を三分すると、田盤は趙・魏・韓と使者を通交させ、斉の外交関係を安定させた[2]

脚注

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  1. ^ 史記』田敬仲完世家は盤とする。『史記集解』所引徐広は、盤は塈とも作るという。
  2. ^ 『史記』田敬仲完世家

紀元前670年、陳の公子完が斉に亡命、陳氏(田氏)が成立する

紀元前386年、田氏が正式に諸侯として認められる

  • 太公前386-前385
  • 田剡前384-前375
  • 桓公前374-前357
  • 威王前350-前320
  • 宣王前319-前301
  • 湣王前300-前284
  • 襄王前283-前265
  • 田建前264-前221

紀元前209年陳勝・呉広の乱に際して田儋が斉王を称する

カテゴリ Category:斉の君主
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