天坊裕彦

天坊 裕彦(てんぼう ひろひこ、1907年明治40年)1月7日[1] - 1984年昭和59年)8月23日[2])は、日本鉄道官僚政治家日本国有鉄道副総裁、参議院議員(2期)。

経歴

京都府で天坊幸彦の長男として生まれる[1]。第三高等学校を経て、1929年(昭和4年)3月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業[1]1928年(昭和3年)10月、高等試験行政科試験に合格[1][3]。1929年4月、鉄道省に入省して鉄道属に任官し大臣官房に配属された[1]

以後、松阪駅長、大阪鉄道局庶務課文書掛長、鉄道省事務官中支那派遣軍特務部附、興亜院事務官、鉄道局参事、鉄道調査部書記官・鉄道調査部第一課長、業務局事業課長、運輸通信省自動車局業務部監理第三課長、華中鉄道参事、運輸省鉄道総局勤務、北海海運局長、運輸省大臣官房長、大阪鉄道局長などを歴任[1]1941年(昭和16年)の開戦直前にはアメリカ合衆国に赴任しており、同年11月、日米関係が悪化する中で派遣された引き揚げ船の龍田丸で帰国を果たした[4]。戦後の1949年(昭和24年)6月、日本国有鉄道の発足に伴い同理事・大阪鉄道局長に就任[1]。運輸総支配人を経て、1951年(昭和26年)8月、副総裁となり1956年(昭和31年)1月まで在任した[1]

1956年7月、第4回参議院議員通常選挙全国区から出馬して当選[2]第6回通常選挙でも再選され、参議院議員を連続2期務めた[2]。この間、参議院地方行政委員長、同運輸委員長、日本トラック協会会長[2]阪神高速道路公団理事長[5]などを務めた。

このほか、1956年から1963年までの間と、1970年から1981年までの間、鉄道友の会の第2代・第4代会長を務めた[6]

1977年(昭和52年)春の叙勲で勲一等瑞宝章受章(勲四等からの昇叙)[7][8]

1984年(昭和59年)8月23日死去、87歳。死没日をもって正五位から従三位に叙される[9]

親族

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』158頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』361頁。
  3. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』275頁。
  4. ^ 久しぶりの母国に感激の顔『大阪毎日新聞』(昭和16年11月15日夕刊)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p456 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  5. ^ 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』408頁。
  6. ^ 鉄道友の会は「島秀雄記念優秀著作賞」を新設します (PDF) - 鉄道友の会、2頁。
  7. ^ "天坊 裕彦". 新訂 政治家人名事典 明治~昭和. コトバンクより2023年1月16日閲覧
  8. ^ 『官報』号外第29号19頁 昭和52年5月2日号
  9. ^ 『官報』第17144号13-14頁 昭和59年3月31日号
  10. ^ 官報. 1901年1月4日
  11. ^ 官報. 1911年4月4日

参考文献

  • 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会、1981年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056
議会
先代
高野一夫
日本の旗 参議院地方行政委員長 次代
林田正治
先代
江藤智
日本の旗 参議院運輸委員長 次代
岡本悟
第1回
(定数100)
3年議員
偶数回
第2回
(定数50)
3年議員
第4回
(定数50)
3年議員
第6回
(定数50)
3年議員
第8回
(定数50)
3年議員
第10回
(定数50)
3年議員
第12回
(定数50)
奇数回
第3回
(定数50)
3年議員
第5回
(定数50)
3年議員
第7回
(定数50)
3年議員
第9回
(定数50)
第11回
(定数50)
†:当選無効・失格など、↓:途中辞職・死去など、↑:繰上げ当選または補欠選挙で当選(合併選挙で当選した3年議員を除く)。