嶋内よし子

嶋内よし子
没年月日 2003年12月23日
選手情報
利き腕
グリップ ペンホルダー[1]
フォア面ラバー 表ソフト
バック面ラバー なし
戦型 前陣速攻型[1]
ITTFサイト WTTプロフィール
獲得メダル
日本の旗 日本
世界卓球選手権
1979 平壌 女子団体
アジア卓球選手権
1980 コルカタ 混合ダブルス
1982 ジャカルタ 女子ダブルス
1984 イスラマバード 女子ダブルス
1984 イスラマバード 混合ダブルス
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嶋内よし子(しまうち よしこ)は、高知県窪川町出身の卓球選手。興津中学校土佐女子高等学校を経て専修大学へ進学した。主将を務めていた1979年1月に行われた全日本卓球選手権では、女子シングルス決勝で青山学院大学菅谷佳代を破り優勝した[2]。卒業後は三井銀行へ入社した[3]。夫は卓球選手の斎藤清[1]

世界卓球選手権に3度出場、全日本卓球選手権でも2度優勝した名選手であったが[1]2003年12月23日乳癌による呼吸不全のため46歳で死去した[3]

主な戦績

1978年
1979年
1980年
1981年
1982年
1983年
1984年

脚注

[脚注の使い方]

出典

  1. ^ a b c d e f g h 壁谷卓 (2004年1月14日). “2004全日本卓球コラム(2)前略 斎藤清様”. All About. 2012年5月22日閲覧。
  2. ^ 卓球日本一 無シードの島内 読売新聞 1979年1月15日朝刊
  3. ^ a b “斎藤よし子さん(元卓球日本王者)が呼吸不全のため死去”. 日刊スポーツ. 2012年5月22日閲覧。

外部リンク

  • 嶋内よし子 ITTFデータベース (英語)
日本の旗全日本卓球選手権優勝者-女子シングルス
1930年代
  • 36 保原キヨ
  • 37 保原キヨ
  • 38 保原キヨ
  • 39 保原キヨ
1940年代
  • 40 松浦弥寿子
  • 41年から45年まで第二次世界大戦中のため中断
  • 46 加藤君枝
  • 47 松本貴代子
  • 48 松本貴代子
  • 49 田中良子
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
  • 2018年までは年度表記
  • 男子単
  • 女子単
  • 男子複
  • 女子複
  • 混合複
  • Jr男子
  • Jr女子
日本の旗全日本卓球選手権優勝者-混合ダブルス
1940年代
  • 46 藤井則和・松本貴代子
  • 47 余江捨二・加藤君枝
  • 48 守屋泰二・渡辺睦子
  • 49 田舛彦介・田中良子
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
  • 80 村上力・村上美枝子
  • 81 小森孝則・浦喜久
  • 82 斎藤清・嶋内よし子
  • 83 斎藤清・嶋内よし子
  • 84 大竹克利・石田清美
  • 85 桜井正喜・山下さとみ
  • 86 斎藤清・細川幸智子
  • 87 斎藤清・細川幸智子
  • 88 斎藤清・細川幸智子
  • 89 黄若東・鄭慧萍
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
  • 2018年までは年度表記、左が男子・右が女子
  • 男子単
  • 女子単
  • 男子複
  • 女子複
  • 混合複
  • Jr男子
  • Jr女子
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